プロスカッシュコーチへの道程
最終試験でのエピソード
-生徒たち-
毎週来てくれた子供たち。
とても別れが辛かったです…。





私をこれからプロになれるよう指導してくれるイアンは、ニュージーランド出身のシャイで無口な先生でした。なまりの
強い英語がチンプンカンプンで、しまいには「なんで英語が何もわからないのに来たんだ?」という顔をされる始末。
それでも彼は心が温かく寛容だったので「それじゃ、まず私の言うことをリピートしてみて」と、コートの中で英語の
レッスンから始まりました。。これから一年間お世話になるんだから、ニュージーランドの英語を教わるのも悪くはない
んだけど…。
私の日本でのスカッシュの経歴、戦績は悪くはなかったので、試験をひとつ上のものを受けることを勧められました。
本来なら許されないことですが、そこは臨機応変…というよりも、早く仕事を終えて日本に帰したかったのかもしれま
せん。名の知られたコーチのレッスン料は決して安くはなかったのですが、それよりも今まで基礎も習ってないのに
本当に大丈夫なんだろうかという不安の方が大きかったことを覚えています。とにかく、試験日まではまだ間が
あったので、コーチに私のスカッシュ自体を査定してもらうことにしました。しかし、そこからすでに苦難の日々が
始まったのです…。
30分ほどゲームをした後でした。イアンはスタスタと私に歩み寄ると、こう言いました。「バックは申し分ないけど、フォ
アは頂けないね」昔からバックハンドは得意で、決め球はほとんどバックサイドでした。とかくフォアハンドの方が打ち
やすく、初心者にとってバックはボールに当たらないというケースが多いのですが、実はフォアの方が数段難しいの
です。なぜならベストのバックハンドは打点がひとつだけで、その場所さえ覚えてしまえば体を使って楽に打てます。
しかしフォアハンドは、少し無理をすればたくさんの打点で打つことができるので、なかなかベストの打点を見つけら
れません。ずっと無理をして力にまかせてフォアハンドを打ってきたことを自分自身でもよくわかっていたので、
すぐに頷きました。
「じゃあ、こっちに来て」イアンは私を後ろの透明の壁の前に連れていきました。「ここで自分のスウィングを見ながら
素振りして」…うーん、懐かしい。そういえば初めて大学のクラブに入った時、毎日やったっけ。時折ポイントを指導
しながら、イアンはほとんど黙って見ていました。その日、残りの時間はすべて素振りに費やされ、他のレッスンは
何もできませんでしたが、私は満足でした。そう、一からスカッシュを習わなければ来た意味がない…。
翌日、コートに入ると、イアンはまずこう言いました。「昨日の続きね」そしてその日のレッスンは終わりました。
しかし、それが五日間も続く頃になると、さすがの私も頭を抱え始めました。なぜなら、言われたとおりにやっている
のに一向にオーケーも出ないし、先にも進めない。こんな初歩的なことをいつまでやればいいのだろう。こんなことで
本当にプロのコーチなんかになれるんだろうか…。毎日部屋に戻るとイアンに言われたことをノートにまとめ、復習も
しましたが、だんだん夜は寝られなくなっていました。明け方近くまでベッドの上で悶々と寝返りを打ちながら、その
理由を考え続けていた時、ふとひっかかるものがありました。ちょっと待って…これはスカッシュじゃない。一度頭の
中を白紙に戻してもう一度考えてみよう。なぜ、私はここにいるのか。何のためにやってきたのか…。
私にとってイギリスでのいろいろな出来事はすべて初体験でした。当たり前だったことがすべて当たり前ではなく、
言葉も満足に通じない。覚悟はしていたはずだけど…本当にそうなのか。思いきって「練習して下さい」とオーストラリ
アの選手に頼んだ時に、頭の先から足まで見下ろされて「あなた、日本人?私、もう終わったから」と一笑に付された
こともあったけれど、人種差別のないとは言えない国だから「プレイも見てないくせに、今に見てろ」と落ち込むことは
なかった。そんな今の私を支えているものは何なのか…。そう、すべてがスカッシュでした。日本で何十年も選手とし
てやってきたというプライドだけが、ここでの生活のすべての支えとなっていたのです。一から学ぶということとの矛盾
に気がついた今、それじゃ、その折り合いをどうつけていいのか…。言うまでもなく、本当に一から学ぶということは
それまでのことをすべて捨て去らなくてはなりません。そんな勇気が自分にあるんだろか…。しかし、ここに来た意味
は…? 
外はすっかり明るくなり、鳥のさえずりが聞こえる頃、私の心にひっかかっていたものはすっかりなくなって
いました。プライドなんてものに振り回されるようなバカじゃないはず。初めの目的を達成することこそ、今一番重要な
ことなのだと悟り、やっと本来の覚悟ができたのでした。
夕方重いバッグを背負ってクラブのドアを開けた時、一睡もしていないのにもかかわらず、なんだか身も心もスッキリ
として、一時間の素振りも楽しくできるような気がしていました。「さあ、それじゃ昨日の続きね」いつものようにイアン
は壁に寄りかかり私をじっと見つめていました。そして、二、三回ラケットを振った時、「オーケー、もういいよ。じゃ次
のレッスンに移ろう」…なんで? 私にはサッパリでした。昨日と今日のどこが違っていたのか…。それでも、以前より
楽にボールを打つことができたのは、やっぱりレッスンのおかげでした。
たった五日間で、大きなものを得られたことは私にとって本当にラッキーでした。それは実際のレッスンのことでは
なく、これから先にとっても、人生にとってもプライドは時には有益なことを得るための邪魔になるということを知った
からです。そして、その瞬間になにが一番重要で、何を優先すべきかを見極めることこそ、一番大切ことだと悟りまし
た。プライドを捨てる勇気を体験できたのです。私は決してプライドの高い人間だとは思っていませんでしたが、環境
が変われば思わぬ自分自身の発見をするものです。この体験もゆくゆくはきっとコーチングに役立てるに違いないと
実感しました。
さて、ひとつ上のコーチングの試験のために、イアンは基礎となる考え方や生徒やシュミレーションをたくさん用意し
てくれました。そのひとつとして、あるクラブの子供たちを毎週教えることになりました。家からさほど遠くなく、広い
グラウンドを持つクラブは決してレッスンを受けているような高級クラブではありませんでしたが、私は訪れるたびにホ
ッとしました。六才から十五才の子供たちは皆驚くほど上手く、なによりもスカッシュを楽しんでいました。わけのわか
らない外国人に教わることをどう思ったかはわかりませんが、少なくとも私にとっては試験のためと言うよりは、自分
自身の楽しみとして子供たちと接しました。小さい子たちは子供用のラケットなど使わず、ちゃんと大人用のものを
ズルズルと引きずりながら、ちょっと顔を赤らめてコートに入ってきます。そんな小さな子にいったい何を教えたらいい
のか。初めはとまどいましたが、まもなく理解できました。緻密なレッスンなどする必要はないのです。時間内を
どれだけ楽しませるか、飽きさせずにボールを打たせるか、すべてはそれにかかっていました。しかし、年上の子供
となると、それはもう大人のレッスンとして時間内でいくらかでも上達させなければなりません。すべてが時間との闘
いといってもいいでしょう。試験の項目は個人レッスン、グループレッスン、そして筆記があります。筆記は辞書の持
ち込みが許されていますので、頭に入れておけば良いのですが、やはり実地はそうはいきません。当日どんな生徒
がくるかわからず、どんなグループレッスンの課題を与えられるかわからないのです。実際一番の悩みは英語でし
た。それは英語で教わったものを一度日本語で理解し、また英語で出さなければならないという非合理性にありまし
た。その間で私の頭の中はゴチャゴチャになり、理解しているのかしていないのか自身でもわからなくなってしまった
のです。そして意外に早く試験日はやってきました。
結果は「失格」でした。理由はわかっていました。個人レッスンは日本でもやっていたので簡単でしたが、グループレ
ッスンには慣れておらず、時間配分にも失敗しました。しかも与えられた課題は、最も私が苦手としていた課題だった
のです。当然の結果だったのでガッカリもしませんでした。とにかく一番下の試験から順番に受けたいと言うことを
イアンに告げました。元来私は不器用な方で飛び級なんてものは無理でしたが、ひとつでも多く試験を受けられた
ことは有利な体験でした。
まもなく、初級の試験に合格し、とりあえずプロコーチとしての一歩を歩み始めました。子供たちを教えていたクラブの
メンバーになり、女子の一番手の選手として皆と毎週いろいろなクラブで試合をしたり、子供たちのコーチとして試合
に付き添ったりと、忙しい日々にもなりました。そして、中級の試験に向けてのレッスンも気合が入りました。今度こ
そ、受からなければなりません。
しかし、ここでまたまた問題が発生しました。試験はそう頻繁に行ってはいないので、次の試験日はすでに私のビザ
が切れた後だということがわかったのです。どうしよう、ビザの更新をするしか道はないか…。すると、今までずっと
面倒をみてくれていた協会のクレアが「上級の試験があるから、そこで一緒にやりましょう」と言ってくれたのです。
「でも、私の査定は中級でやってもらえるんですよね。えーと、すると生徒のレベルって…」本当にありがたく、心から
感謝しましたが、私にとって不安材料はたくさんありました。それでも贅沢は言っていられません。とにかくそれでも
受からなかったら、どっちみちビザの更新はしなければならないのですから…。

         



建物の裏手の誰もいないところに腰をおろし、ノートを広げて最後の復習が終わった時、緊張感はまるでありません
でした。上級を受けるコーチたちは皆親切で、目が…になるくらいの技術があり、体を温めるために皆に混じってゲー
ムをした時もほとんど私は生徒のように楽しんでいました。試験官と一緒に他の人のレッスン風景をためいきまじりに
眺めたものです。やがて名前が呼ばれ、私の個人レッスンの番が来ました。いったいどんな生徒だろう…。
彼女は靴を履きながら満面の笑みを称えて私に握手を求めてきました。「彼女があなたの生徒役よ。プロのテニスプ
レイヤーなの」…ガ〜ン! 私の顔にはたぶん血の気がなかったことでしょう。ラケット競技をある程度やっている人は他
のラケット競技もたいていそつなくこなすものなのです。「ス、スカッシュはどのくらいやっているんですか?」頼みの綱
でしたが、それはどんな生徒にも尋ねる質問です…。「そうね、子供の時から時間がある時に」この時、私の頭の中
には何もありませんでした。試験に受かるには、制限時間内に生徒を上達させるという大きなハードルを克服しなけ
ればなりません。コートに向かっている間、彼女と何を話したか全然覚えていません。ビザの更新はすぐにできるの
だろうか、次の試験日はいつなのだろうか…ということしか浮かびませんでした。しかし、その時わが師イアンの一言
が突然脳裏に浮かんできました。「大丈夫、万が一何かに迷った時は、常に基本に戻ること。それ以外は考えなくて
いい」
彼女のプレイの査定をしながら、なんとか技術的な欠点を探し出そうと目を皿のようにしていましたが、予想通りほと
んど見つけられませんでした。レベルの高いレッスンをするにはリスクが高いし…。その時、彼女のフォアハンドが私
の以前と同じ打ち方をしていることに気がつきました。そう、彼女がこの先もっとスカッシュを楽しめるようになるには
このレッスンしかない。もちろん素振りに全部を費やすなどということはしませんでしたが、規定時間が瞬く間に
過ぎ去り、その間段階を追った練習内容を嫌というほど私の箱から引き出しました。「もういいですよ」という試験官の
声が聞こえた時、彼女はすでに肩で息をしていました。そして、私にこう言ってくれたのです。
「ありがとう、こんな楽しいレッスンを受けたのは初めてよ! きっと日本でも良いコーチになれるわ」
試験官の顔もほころんでいました。それを見て合格を確信しました。この彼女の言葉は、それからもずっと私の支え
になり、自信にもつながりました。
試験に受かったからと言って終わったわけではありません。ここから新たなスカッシュ人生が始まったのです。



帰国する時に子供たちがくれました。
クラブの名前、コーチをしていた期間の日付
そして私の名前が入っています。




イギリスでの試験、その他すべての面で本当に親切に指導して下さったクレアは
数年後に癌で他界されました。心からご冥福をお祈りすると共に
あなたのことは一生忘れません。
心より感謝しています。
                                                                                 



      


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